ピアニストになるまで 音楽学校編1

ピアニストになるまで 音楽学校編1
 
 
高校生になって色々なバンドをやっているうちに
キーボディストとして生きていきたいと思うようになり
親に、普通の大学でなく音楽の専門学校に行きたいというというと
父が反対、子どもの頃から祖父、父は
皆に自慢できる有名大学に行けと言っていました
そういう考えが嫌で彼らが例に出していた大学には絶対行かないと決めていました笑
(あまりにしょっちゅう名前をだされるのでどんなところかも知らず嫌いになってしまったんでしょう)
音楽の道に進みたい私を諦めさせようとしたんでしょうか、売れずに苦しんでいる方のところに連れていかれました、きっと父から頼まれたのか、その方からあきらめるようさんざん説得されました
 
 
そしたら私毎日神様に祈るようになってました
どんなに貧乏で、苦しくて一生売れなくても認められなくても構わないので
なんとかお願いだから音楽やらせてくださいと笑
 
そうそう、大学くらいまで神様というのがいると信じていました
子どもの頃から色々神様にお願いしてて地震が怖くてしょうがなかった時は
 
”神様、どうしても地震を起こさなければならないなら
小分けにして僕が寝て気がつかないときにちょっとずつ揺らしてください”なんて祈って笑
 
そしたらしばらく地震がなくなって(気がつかなくなって?)
だんだん怖くなるという、、w
 
父になぜ音楽の学校はダメかときくと駄目なものはダメ,専門学校は恥ずかしい
農学部でもなんでもいいから有名な大学に入れと
 
???なんて偏見、農学部が劣ると思ってるの?なんで専門学校が恥ずかしいの?
あ、音大ならギリギリ許すといわれました
 
しかしピアノにもほとんど触ったことなかったので悔しく何度も泣きました
(今思えば、もし子供の頃からピアノをやっていたら、周りのすごい人を知ってこれは無理だと早々にあきらめてたかもしれませんね)
 
家出をしようとも思いましたが、悔しいけどいったん大学に入って
その間にバイトをして音楽学校いけるお金を貯めようと決めました
 
大学に入ってお金貯めている間に尚美の冬講習に行ったり
YAMAHA音楽院の夏期講習に行ったりあ、この時は数日音楽漬け周りが音楽やる仲間ばかりで
あまりに楽しすぎて幸せすぎて涙がでました
 
それとメーザーハウスの体験レッスンに行ったら
佐山雅弘さんがいて、その時のクラスの皆を自宅に招いてくれました
即興で演歌とかをアレンジして弾いてくださったりカッコよかったです
 
皆が音楽について熱く語っているのが刺激的でした
そしてそのまま朝まで飲むことに。
女子とかは帰らない連絡を家に電話していましたが
 
お前は連絡しないでいいのか?と言われた時
それをするのがなぜか恥ずかしく家に連絡しませんでした
 
そしたら無断外泊などしたことのない私が帰ってこないので
散々心配した母は次の日警察に捜索願いを出そうとしてたようです笑
 
しかし私ときたら次の日今まで見たことない笑顔でニコニコして
帰ってきたそうです
 
そんなこんなで深夜早朝バイトを頑張り
ちょうど一年分くらいの学費がたまった時点で
一度入学説明会に行ってみようと
 
某専門学校の入学説明会に行ってみました
すると相談員の方が”そんな大変な思いして来ても
うちではあなたの思っているほどのものを得られないと思う”
と言われ、びっくりでした。
で、”うちの先生が個人でも教えてるから
せっかく入った学校辞めないで大学に通いながらその人に習ったらどう?”
と提案してくださいました
 
それが稲森康利さんでした
 
帰ってよく考えると、そうだな、これからもう一年分学費貯めるより
早く始められるし良い案かもと考えた末
 
稲森さんに習うことにしました 当時月謝が2万で
貯めていた学費もだいぶ浮いたので、後にアップライトピアノも買えました
 
今思えば どうやってミュージシャンになるかは
無限の方法があると思えますが
当時の私は まず日本で専門学校→そしたらバークリーいけて
→そしたらバンド作れてなんとかなる
あ、そうしないとなんとかならないみたいに考えていました
 
何かになるためにこういう道を通らないと
と決め付けそうするための努力をするという考えしか思い浮かんでいませんでした
 
そもそも”何かになる”という考より
もう求めている”何か”そのものをただやるということに集中する方が大事だよと
決め付けてしまうよりいろんな道が見えてくるよと
できるなら当時の自分にアドバイスしたいですが、、
ま、決め付けてこだわるのも若さならではの楽しさかもですね